カテゴライズ好きな僕たち
久しぶりにごく普通のブログを書こうと思う。本当は、ブログなど書いている余裕は全くない。テストは明日に控え、その範囲のテキストさえ、まだ3割しか読んでいない。だが、テスト前に毎回僕を襲う、執筆欲と何かを作りたい欲は、止められない。まあ、まだ日曜の午後は始まったばかりだ。
行きつけの16号のマクドナルド。駅から遠いし、店舗の中ではないので、割と快適なのだ。悩んだ末、そこが今日のデスクとなっている。だが、今日の混みっぷりは半端ない。ほとんどが家族連れで、子どもたちはシャウトしている。やはり、この店は平日専用にしよう…。
「ずく」という言葉の意味はなんずら?というようなツイートが、様々な議論を経て、最終的に「マメとねちっこさの違いはなんだ?」という話に落ち着いた。140字では語れないからまた今度話す、と僕が言うと、深夜になって大下からSkypeが来た。説明してくれ、と。
そして、マメとねちっこさの違いについて5分ほどで話したのち、意識高い系とサブカル系が同じベクトル上にあるか、という議論をした。最近のサブカル系女子という存在に、僕はかねてから疑問を持っていた。抽象的なことはわかっているつもりでも、具体的な定義はわからないし、なぜそれらが流行っているのかということが疑問だった。
サブカル系女子や、サブカル系音楽、それらについてしっかりと考えて、まとめてみる必要があるという結論しか出せなかった。深夜のSkypeで語られた話は、ここに書くにはまだ未熟すぎるからだ。少なくとも安易な考えのみで、ブログでディスるようなことは避けるべきだとも思った。何かをディスっているブログほど、つまらないものはない。まあ、どこかにディスりがいないと、社会全体がぬるいものになってしまう、という側面もあるのだが。ディスるため、少なくとも議論するためには、それらについてなるべく多くの理解をしなければならないだろう。
そして、思った。カテゴライズは便利な行為のようで、実は僕たちに大切なものを見失わせているのかもしれない。「なんとか系」と言ってしまうことは簡単だが、それは本質に迫っているだろうか。
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