学校は「諦め方」を教えてくれない

突然ですが、みなさんはクレーンゲームというものをやったことがあるだろうか。いわゆるUFOキャッチャーと呼ばれているやつだが、ちなみにそれはセガの登録商標なので、他のメーカーのものも含めてクレーンゲームと呼ぶのである。

一言でいうと、あのゲームは自分の精神との闘いだ。つまり「どのタイミングで諦めるか」という闘いなのである。意外なことに実は、僕はあれが大好きで、そうはいってもゲーセン自体3ヶ月に1回くらいしか行かないのだが、行ったときには数千円も使ってしまう。しかも景品がゲットできないときも少なくない。多くのマシンでは、5回やって取れなかったらたぶん取れないし、景品の最高金額である800円(市場価格)を超えてしまった時点で、それは僕の負けである。クレーンゲームの醍醐味というのは、多くても3回程度で景品をゲットすることにある。回数を重ねるほどに、ダサイ。それでも諦めきれずに数千円を使ってしまうのが人間の性である。困ったものだ。

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さて、余談はほどほどにしておいて、今日のトピックはずばり「諦めることの大切さ」である。

大阪市立桜宮高校で体罰を受けていたバスケ部の部長が自殺したというニュースは、みなさんの記憶にも新しいと思う。まあ、アルジェリアでテロもあったり、どっかの資産家夫婦が殺されたり、というようなニュースが続いたので、既に昔のことになってしまった感は否めない。マスメディアというやつは常にそうだ。

ニュースになりはじめた頃は、僕もそれほど気にとめてなかった。こう言っては失礼だが、どこかの公立高校で体罰があって(というか常にあったものが世間に知られて)、それが原因で生徒が自殺した、というそこまで珍しくなさそうな話だし、きっとニュースになってないだけで、部活などを苦に自殺した人って少なからずいるような気もする。自殺者が出た時点で、学校側は何が何でも学校との因果関係を消そうとするだろうから、なおさら僕たちは知り得ないだろうし。(僕の勝手な偏見だけど)

僕が違和感を感じたのは、数日後の生徒による記者会見だ。運動部の部長という数人が出ていて、何故か顔と名前は一切出さず、橋下市長を批判した会見である。亡くなられた方のことなどそっちのけで、「なぜ高校生の私たちがこんなにもつらい思いをしなくてはいけないのか分かりません」などと言っていたシーンは印象に深い。あまりに気持ちの悪い会見だったから、裏で生徒たちを動かしている黒幕がいるんじゃないかという憶測も飛び交っていたほどだ(尾木ママもキレてたよね)。実際には生徒たちが自ら主催したらしいが、もし本当に自分たちで行動したのならちゃんとやれと思ってしまった。顔と名前は隠して言いたいことを言うだけ。もはや記者会見と呼べないと思うのは僕だけだろうか。

いろんな意見があると思う。橋下市長を支持する意見もある一方で、在校生や受験生などの子供たちがあまりにもかわいそうだ、子供の気持ちを考えているのか、というような意見も多い。例によってテレビでは後者の意見ばかりがフィーチャーされるが、橋下市長の対応を支持しているサイレント・マジョリティがいると僕は思う。

学校がバッシングされて、体育科の新入生の受け入れも中止されて、在校生にしてみたら自分の学校が全否定されてるようなもので、確かにかわいそうな気もするけど、やっぱり僕はそんなことは全く思わない(冷たいようだけどこれが僕の本音だ)。事件を起こした教員はもはや犯罪者、叩かれて当然だ。だが、他の教員や教育委員会、生徒や保護者には全く非がなかったと言えるだろうか。体罰があることを知りながら見て見ぬふりをしてきたということこそが、一番の問題なのではないだろうか。そして、全ての関係者があまりにも長い間見て見ぬふりをしてきたツケが(伝統とか強豪とかそんな上っ面なもので学校を守り続けてきた代償が)、今になってようやく回ってきたということにすぎない。もはや遅すぎた。僕は、入試の中止どころか学校を廃校にしてもいいくらいだと思っている。暴力が許される公立教育機関など決してあってはならない。

しかし一方で、桜宮高校の学校や部活動というのは体罰が許容されるような空気に長いこと支配され続けてきたという側面があって、そう考えるとやっぱり生徒たちがかわいそうという意見もあるだろう。それは認める。だからこそ、その空気を完全に換気するためにも、全ての教員を入れ替えることは必須だと思う。

「諦めることの大切さ」について書こうと思っていたのに、いつの間にか話が少し脱線してしまった。今回の事件のあった高校はもちろんだが、そうでなくても部活動というやつは「勝利至上主義」を避けては語れない部分が大きい。テレビに出てくるような強豪校はだいたいそうだろう(勝手な偏見だし、もちろん勝つことにはこだわってないけど結果として勝っているという素晴らしいチームもあるだろう)。運動部に限った話ではない。「笑ってコラえて」に出てくる吹奏楽部とかも、テレビを見ている限りではそんな匂いがぷんぷんする。勝利至上主義というのはプロに限った話だと僕は思う。試合に勝って賞金を得られなければご飯が食べれない、それがプロだ。一方で、大多数のアマチュアはそれで生活しているわけではないし、それはあくまで日常を彩るスパイスのようなものだ。それなのに、いつの間にか勝つことが楽しむことを超越してしまっている。そのことにさえ気づかないまま。

先日、飯田高校で「君たちは勉強と部活と恋だけの世界で生きていると思われている!笑」というふざけたタイトルの講演(内容はマジメ!)をさせていただく機会があったのだが、そのときに担当の先生が「うちの生徒たちは本当に部活しすぎなんだよ!」と言っていた。平日は夜7時頃までは当たり前、部によっては土日も練習だそうだ。そしたら一緒に行った北澤君が「僕はサッカーやりたかったけど毎日なんてやりたくなかったから部活には入らなかった。でも地域のサークルには入っていた。」というようなことを言っていた。いや、そう感じている人って実は多いのではないだろうか。ちなみに僕、中学時代は野球部だったのだが、これがまた本当に陰鬱だった。下手くそだったし、先輩も後輩もウザかったし。下手くそだからいつもみんなにバカにされてた。野球は楽しいはずなのに、部活は楽しくなかった。でも、中学に入学したとき、男の子は運動部に入らなければいけないものだと信じていたし、みんなそうしていた。実際には部活は任意だったし、今思えばバカだった気もする。まあ、おかげで野球は少しはできるようになったけど。

中学や高校の部活動っていう制度は、どうしたって子供たちの世界を広くしているようで実は狭くしている。そして、あまりにもたくさんの時間を奪っている。高校時代の放課後って無限のポテンシャルを秘めてると思う。例えば、喫茶店で友達とお茶をすることだって素晴らしい時間の過ごし方だと思うのだが、その先生の言うには、放課後に喫茶店に行く生徒なんてほぼいないらしい。授業、部活、帰宅というルーティーンなのだ。

そういうわけで野球部からの反動もあってか、高校に入ったら写真部を作った。出席任意のゆるい部活だったが、(自分でいうのもアレだけど)結構イケイケだったし、あまりにも楽しかった。だからやっぱり、スポーツでもスポーツじゃなくても、アマチュアの活動は楽しむということが大前提であり、そして、腹八分目が大切だと思う。

おや、またもや脱線してしまった。今日はもう目的地に着くことはないかもしれない。だが、少しずつ近づいていることは確かだ。スラムダンクとかいう漫画に「諦めたらそこで試合終了だよ」というあまりにも有名なセリフがあるらしいが、学校や部活動にはそういう空気が少なからずある。勝利至上主義のチームにおいてはなおさらだ。僕たちは幼い頃から常に「夢はあきらめなければ絶対叶う」と先生たちに言われてきた(ドリカムか!)。そして、「夢を持て」とも言われてきた。僕はこういう考え方がとてつもなく苦手だ。他人に持てと言われて持った夢なんて本物じゃないと思うからだ。もちろん夢や希望が全くないのも寂しいが、ひたすら頑張ることで誰もが報われるなら、世界はもっといいものになっているはずだ。だが現実は違う。1位になれるのはたった1人だけで、それには多くの敗北者を伴う。

夢を持つことや、それに向かってひたすら頑張ることはもちろん大切だし楽しさもある。だけど、ある閾値を超えたときそれは苦痛に変わる。そういうとき、僕たちは「諦める」という選択をすることを許されている。それなのに、どうしたって世の中には夢を諦めずに頑張り続けている人こそがかっこいいという空気がある。いつだってテレビでフィーチャーされるのは、30年続けてきた研究がノーベル賞に輝いた科学者や、40歳の母親になっても最前線で頑張り続けているアスリートである。もちろん、そういう人たちは純粋にすごい。そしてかっこいい。しかし、みんながみんなそれを目指す必要はないのである。テレビでフィーチャーされるような人生だけが人生じゃないし、平凡で目立つこともないけど楽しく暮らしている人はいくらでもいる。そして、ずっと頑張り続けているけど報われないままに挫折する人だってたくさんいる。何かに固執して心折れるよりも、他にいくらでもある楽しいことを探したほうがよっぽど合理的だと、僕は思う(これだから意識が低いと言われるんだ!)。何かを「諦める」ということはとても勇気のいることだし、とてもかっこいいことだ。そして、それはクレーンゲームと同じように、あまりにも難しいことなのである。景品を取ること以上に、諦めることが難しいのだ。それは学校で教えてくれないことだからだ。

何かを相談したとき「それ無理じゃね?笑」と言ってくれるやつこそ心の友なのかもしれない。

買い物しようよ!

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