もはや、暖冬という言葉を耳にしない日はない。いまだかつてないくらい暖かいものだから、年始といってもキリッと締まる気がしない。そもそも、僕は締まってなどいない。そういうヤツだ。
2015年はどんな一年だっただろうか。楽しかった人もいれば、そうでなかった人もいるだろう。毎年のことながら、僕は総じて素晴らしい一年だったと思っている。特にこれといってよかったことがあるわけでもないが、特に悪かったこともない。つまらないようにも見えるが、よく考えると、それは本当に素晴らしいことだ。体を壊すこともなく、交通事故に遭うこともなく、一年間過ごすことができた。感謝すべきことだ。
二年詣りに行って、神に祈ることは毎年決まっている。健康、交通安全、人との関係。それ以上でも以下でもない。多くは望まない。とてもシンプルだ。それは祈りというよりも、目標のようなものだ。健康で過ごせるように体を動かしてみる。事故を起こさないようにとても気をつけて運転する。人に感謝の気持ちをちゃんと伝える。それらは当たり前のようで、とても難しいことだ。限りなく完璧に近づけたとしても、完璧はない。だからこそ、それは僕にとって毎年変わらないテーマになるのだ。
振り返ることはあまり得意ではないが、2015年を少しだけ振り返ってみよう。
古くからの友人である「かずひろマン」が学生を終えて地元に戻ってきた。多くの部分で価値観を共有できる、僕にとって最重要な友だちの一人だ。以前は年に数回会うくらいだったのだが、距離が近くなったものだから、月に数回会うようになった。マックスという友人も一緒に、写真を撮りに行ったり、ボウリングに行ったり、ジョギングをしたりした。そういえば、諏訪湖マラソンにも出たし、スポーツジムにも行った。なかなか健康的な付き合いである。なんでもないようなことだけど、それが楽しいと思えることは本当に幸せなことだ。今年も引き続き楽しみだ。
大親友である千泰山がついに結婚したことは、僕の人生において最も重大なイベントとなった。僕はその結婚式でスピーチをしたが、それはあまりにも素晴らしいものになった。力強く聴衆に訴えかけるようでいて、どこか優しい、まるでリンカーンの演説を思わせるスピーチだった。会場は涙した。僕もなんだかんだで26歳になった。まだまだ若いと思う一方で、もう若くないとも思う。アンビバレントだ。まわりの友人たちが、ひとり、またひとりと結婚していくのを見ていると、やっぱりもう若くないと思う。別に焦っているというわけではないんだけど、何か寂しいような不思議な感じもする。
2015年は写真をよく撮った。といっても、学生の頃よりは撮っていないけど、近年の中ではかなり撮ったほうだと思う。前述のかずひろマンなど地元にいる写真仲間と撮りに行ったりしたけど、それ以上に一人でじっくりと撮ることが増えた。たくさんの枚数を撮るというよりは、構図を吟味しながら三脚を立てて、低感度で、絞って、ゆっくりとシャッターを切るという撮り方が多かったように思う。星空写真もたくさん撮ったけど、年賀状に使ったような夕暮れ時の写真を撮ることに魅了された。
撮る写真の雰囲気が変わったり、好きな音楽が変わったりするように、人生もまた少しずつ変わっていくことだろう。抗う必要などないけど、川の流れに任せっきりでも面白くない。少しでもいい方向に進めるように、常に真摯にやろう。素晴らしい年にしよう。
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
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