ありとあらゆる体言に「人生の」や「恋の」といった形容詞を付けると、それっぽい言葉になってしまうという不思議。でも、もうそんな虚構にはだまされないぞ、というレジスタンス。様々な感情がケンカして、僕にブログを書かせるのだと思う。

夜、誰もいないリビングでひとり、オーディオで音楽を聴くのが好きだ。アンプもスピーカーもそれほどいいものではないが、いわゆるミニコンポよりは全然いい。僕は音楽好きというよりは、オーディオ・ビジュアル好きなのだと思う。Apple TVを買ってからは、PCの前にいながらiTunesで選曲できるので、より楽しくなってしまった。

別に、ソファーに座ってしっかり聞くわけではない。たいていはテーブルのラップトップに向かって作業しながら聞く。そんなBGM程度の音楽鑑賞だけど、それなりにちゃんと聞きたいという思いがある。どうしても僕は、ラップトップに内蔵されているスピーカーで曲を流しながら作業をすることができない。だから僕は、アパートでも実家でも、マニアな人たちが買うような何十万もするものではないけど、数万円の範囲で買えるコスト・パフォーマンスのよいオーディオを買ってきた。

当たり前だが、ラップトップの内蔵スピーカーはお世辞にも音がいいとは決して言えない。スピーカーの直径を考えれば明らかだ。だから、2本で1万円くらいのものでも、ちゃんとしたスピーカーを使うと全然違う音楽を聞くことができる。どう違うのかというと、この言葉が的確かわからないけど、解像度が違うのだ。どうしても、この感覚は言葉では説明することができない。手っ取り早く実感するには、iPodを持って量販店のヘッドフォンコーナーに行って聞き比べてみるのがいい。

何に価値を見だすかというのは、完全に個人の問題ではあるのだが、いいオーディオで音楽を聴くということは、音楽をもっと好きになることにつながる。これは間違いないと思っている。

親の車の純正オーディオと純正スピーカーに耐えかねて、つい先日どちらも換装した。スピーカーもメインユニットも1万円前後のものだが、それでも純正とは雲泥の差だ。どちらの換装がより貢献するかを確かめるために、先にスピーカーだけ換装して、後日メインユニットを換装した。僕の中では、7:3くらいでスピーカーの貢献が大きいと感じた。より許容入力の大きいスピーカーに換装したら、アンプの出力や解像度がもの足りなく感じて、メインユニットを換装したといった感じである。

どちらも必要最小限で選んだ。車という箱の形的にも、素材的にも、本来オーディオを楽しむための空間ではないのだから、ちゃんとしたもので最小限の構成でいいと思ったからだ。それでも、新しい構成を100とすると純正は15くらいだったと感じさせるほどの差であった。これもまた、曖昧で抽象的な言葉を借りるなら、解像度が高いのである。

車のオーディオをほんの少しこだわるだけで、「移動時間」は「音楽を聴く時間」になる。これは生産性0を100にしているようなものだ。運転するのがより楽しくなる。そう考えると、3万円ほどの出費はそれほど大きくもないかなと、思ったりもした。