今日の夜、とあるお店でビールとシーザーサラダを頼んだ。ビールは数分で来たのだが、シーザーサラダがいっこうに来なかった。夕飯時でお店も混んでいたから気長に待っていたが、30分経っても来ない。店員が近くに来たので聞いてみた。「すみません、シーザーサラダまだですか?」
店員は言った。「申し訳ございません。店内混み合っていまして、少々お待たせしております。」
「そうですか、わかりました。」 仕方なく待ち続けるも、まだ来ない。注文から1時間は経っただろうか。すでに僕の腹はシーザーサラダを求めてはいない。だが、同じ店員が近くに来たのでまた聞いてみた。「すみません、最初に頼んだシーザーサラダってもう来ない感じですか?」 どんな質問だと、言っておきながら、思う。
「申し訳ございません。ただいま確認して参ります。」 結局その店員は僕のところにシーザーサラダを持ってくることも、確認した結果を伝えに来ることもなかった。シーザーサラダが好きで割とどこでも食べるのだが、今日はもういいやと思ってきたので、店を後にした。伝票にはしっかりとシーザーサラダが含まれていたので、レジの人に「サラダは結局来ませんでした。」と言うと、(当たり前だが)「申し訳ございませんでした」と言いながらサラダの料金を引いてくれた。ビールとシーザーサラダはよく分からないがセットだったらしく、そのセット価格からサラダの単品価格を引いてくれたので、僕の飲んだビールは280円になった。
だが、純粋にラッキーとも思えなかった。いくらビールが280円になったからといって、1時間半もの間サラダを焦らされたあげく食べさせてもらえなかったことについては、やはり悔しさが残った。
僕たちは批判をしたがらない。サラダが出てこない飲食店に対してならするかもしれないが、友人には「いいね!」とばかり言ってしまう。だってそりゃ、友だちに「よくないね!」と言うことは勇気が要ることだ。下手したら嫌われるかもしれないからね。(いや、そんなことはないと思うけど)
だから僕は「よくなうぃ~ね!」を提案したい。これは画期的な言葉だ。よくないという意思を明確に伝えつつも、日本人特有のやわらかさを決して失っていない。「よくなうぃ~ね!」とチャラい感じで言うことで、「よくないね!」とストレートに言われるよりも、100倍やさしくなる。
友だちに何か批判したいことがあるけれど言いにくいときは、「よくなうぃ~ね!」と言うといい。それすらためらわれるときは、この画像をコピペして送るといい。サラダは、シーザーサラダがいい。
コメント
30分1時間待つって気が長いですね!渋谷駅で帰ってこない主人を待ち続けた忠犬を思い出しました。貴方のようないい人ばかりなら世の中住みやすくなるんでしょうね。
昔の記事を久しぶりに読んでみると、当時のことが思い出されます。どこの飲み屋だったか、誰と一緒だったか、そこまでは思い出せませんが…。
時代が進むにつれて、世の中の時間軸は加速するばかりです。渋谷駅で待ち合わせた犬あるいは友人を1時間待つことは、昔であれば珍しいことではなかったのかもしれません。現代では、たった5分でも遅れるようであればただちにスマートフォンから連絡を入れなければ信頼を失ってしまう。あるいは、届いたLINEに半日も返信せずにいれば既読スルーと憤怒される。新幹線は秒刻みで走り、携帯回線は地下鉄でさえブロードバンドになり、GWになればカーナビの渋滞情報とにらめっこ。時代が便利になる一方で、シーザーサラダを30分待つ楽しみを失ってしまうのは残念なことです。
コメントありがとうございました。私はいい人とよく言われますが、いい人のふりをしている普通の人です。またよろしくお願いします。