素朴なパンが食べたくなった

公開前からずっと見たかった映画「しあわせのパン」。結局見に行くタイミングを失ったまま5月になってしまった。見に行ったという友人の多くが「あれは予告編だけで十分だよ」と言う。だから、今は特に見たいとも思っていない。まあ、DVDが出たら見てみたい気もするけど。

この映画、とにかく予告編はいい。最後の方に出てくる「人生はいつも ちょっとだけ 寂しい」という一行は、たった2分の予告編をグッと引き締めていると思う。

さて、映画を見ないことにしたので、小説を読んでみることにした。三島有紀子「しあわせのパン」、同じタイトルである。

余談から先に書いてしまうと、実はこの本、札幌の紀伊國屋で買った。3月に北海道に行ったとき、帰路のフェリーで読むために4冊くらい本を買うことにした(船酔いでそんなに読めなかったけど…笑)。そのうちの1冊がしあわせのパンだった。ちょうど映画を見ることをやめようと思ったころだったし、それに、初日には洞爺湖にも行って、(冬でよくわからなかったけど)コーヒーを飲むには素敵なところだと思いを巡らせていた。洞爺湖周辺の食堂では「しあわせのパン定食」みたいなメニューが用意されていたりと、早速便乗しまくっていた。

率直に言って、よくこれで映画化しようと思ったな、という感じの小説だった。小学生の日記かと思うような文体で、(いい意味じゃなくて)すぐに読み終えてしまった。例えば、カギ括弧の中や、それにつながるセンテンスがどうにもスリムじゃないように感じてしまったのだ。そんなことを思いながら、三島有紀子なんて作家初めて聞いたなあと、Wikipediaを引いてみると、この映画の脚本・監督だった。そして、出している著書はこれだけだった。それならまあ、文章については無理もないだろう。

肝心の中身はというと、語り手が替わりながら進む、ほんわか系(なんでもカテゴライズする社会はよくないよね)の小説だ。それぞれのパンやポタージュが、それぞれのストーリー(人生)とともに存在している。物語は、出てくるパンのように、すべてがシンプルだ。だから、感動というのとはまた少し違う。「いいね~」に付随するちょうどチルダのような感じと言ったらわかりやすいだろうか(いや、わかりにくい)。

おや、レビューがなかなか書けない。もしかすると、これはそういう小説なのかもしれない。その「いいね~」のニュアンスは、言語化しにくいものなのだと思う。コーヒーの香りや味、湖の風と初夏の緑が心地よいカフェの雰囲気、パンの焼き上がったにおい、そういったものを言葉でどれだけ伝えられるのか、ということだ。映画のほうがまだ媒体としては適しているのかもしれない。

いったい何が言いたいのかよくわからないレビューを書いてしまった。ひとつだけ言えることは、この小説は予告編に負けてしまっているということだ。かといって、読むべきじゃないということでは決してない。だが、コーヒー好きの僕の心をつかんで離さない、というほどのものではなかった。

買い物しようよ!

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