オーバークロックな時代

開業も間近となった東京スカイツリーに、昨日、落雷があった。634メートルもあるのだから、雷が落ちるのも仕方ない。もちろん、きちんとアースするように設計されているだろうから心配はないだろうが、映像を見ていたら何だか感慨深い気持ちになった。

雷も、適当にビルを選んで落ちるわけではない。東京の空に伸びる建物の中で一番高いスカイツリーを選んで落ちたに違いない。それを見て思った。高いということは、それだけ様々なリスクを抱えているんだと。もちろん落雷に限ったことではなく、例えば(設計的には絶対大丈夫とみんな信じているだろうけど)地震や台風なんかはもっと恐い。

人間社会にも同じことが言えるのかもしれない。ビルは高くなり、CPUは速くなり、地下鉄は深くなり、そして同じように、僕たちの意識もスカイツリーのように急激に高くなっている。誰もが頭をこれでもかとオーバークロックさせて、早口で喋り、エスカレーターを歩き、そうして人生を急いでいるように見える。

意識が高いということは、脆い。

それに尽きると、この頃の僕は信じている。それはきっと、僕自身の意識が、意識の底辺まで達してしまったせいであるのだけど、でもそれでいいと思っている。昔の僕は意識が高かった。それも、かなり高かった。今の僕からは想像もできないことだが、座右の銘に「苦しみは人生のスパイス」を掲げていた。だけど、気がついたら高い意識はポキっと折れていた。しかも、自分では気づかないうちに。だから、もう意識を高くしようとは思わない。脆弱な高い意識を掲げて生きるのは、僕にはあっていないということに、やっと気がついた。今は意識の底辺からなんとか脱して、「低めの意識」といった感じだ。低めの意識でも、十分生きていける。逃げだと言われるかもしれないけど、それは違う。時代の先を行っているにすぎない。独自の調査によると、この先5年以内に意識が低いことはかっこいい、という時代が来るらしい。

絶対に割れない花瓶などないということがわかったら、鉢植えにすればいい。それは極めてシンプルなことではないだろうか。

買い物しようよ!

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コメント

  1. IPPEI より:

    藤浪君はいつもいい例えをするね。自分の好きなことを様々なトピックに活用することができるって、素晴らしいことだと思います。

    またゆっくりお話ししましょう!

  2. Davy Fujinami より:

    電車って、クルマと違って、いつもアクセル(マスコン)入れてる必要ないんですよね。実は、力入れてるのは発車してすぐだけで、ほとんど惰性で走ってる。だから、クルマよりも長持ちするのかもしれません。

    人間も同じでいいと思ってます。燃えるのは一瞬でいい。あとはゆっくり流していきましょうや。周りの景色を楽しみながらね。