許容して生きていく

最近は、4年生ということもあって時間があるので、読書ばかりしています。コーヒーを飲みながら本を読んでいる時間が、なんだかんだ一番幸せなのかなと思うこの頃です。誰にもじゃまされない、至福のときです。ちょっと大げさかな。でも、電車とかで人目も気にせずニヤニヤしたり泣いたりしてしまうので、結構変な人かもしれません…笑。

さて、4年生ということで、やっぱり自分の将来のこととか、もっとかっこいい言葉を使うなら働き方とか生き方とか、いろいろ考えているこの頃。何をしたいかとか、何を得たいかとか、そういった軸でもって人生を決めていくものなのかもしれない。だけど、最近の僕は、何を失いたくないか、何が得られない生き方は嫌か、という視点で考えてみたりしています。

人生はトレードオフ、というような陳腐すぎる表現を使うつもりはないけれど、時間には限りがある。お金は資本主義の世界だから限りはないかもしれないけど、時間だけはみんな平等に一日24時間と決まっていて、それ以上でも以下でもない。だから僕は、お金をどう稼いでどう使うかということ以上に、時間をどう使うかということを考えるべきなのではないかと思う。

先日、ある授業で三和酒類のマーケティングについての話を聞いた。三和酒類というのは大分にある「いいちこ」で成功した焼酎メーカーだ。そのテキストの中で印象に残った話を紹介します。

三和酒類にプロモーションの全てを頼まれたデザイナー河北秀也は、「あなたのライバル会社はどこか?」と経営者に聞いた。すると彼は「キリンビール、サッポロビール、アサヒビール、サントリーだ」と答えた。「え、そんな小さい会社ですか?」河北は言った。「あなたのライバルは、ベンツ、BMW、トヨタ、日産だ。自動車を運転しているとき、『いいちこ』は絶対飲めないでしょう。だから、これからのビジネスは時間の取り合いなんだ。」

今までモヤモヤしていたものはこれなんだ。そのとき僕は思わず深い息を吐いて、妙にウキウキしたものだった。

時間という軸で自分が大切にしたいものを考えたとき、それは読書をすることであり、写真を撮ることであり、オーディオ機器を楽しむことであり、ドライブをすることであり、週末には友だちをお茶に誘うことなんだと思う。そういったことを犠牲にしないで生きていけたら、というか、生きていかなければいけないと思う。

震災で多くのことを学んだわけだが、それらの最も重要なことは時間は戻らないということだ。割れたグラスも倒れたビルも、いくらかのお金で取り戻すことができる。だけど、その時をどう生きたかという事実はどうあがいてもリプレイできない。

そしてまた、世の中の脆弱さを目の当たりにした。僕たちは地球に対して極めて小さな存在で、そして脆い。3日後に巨大な隕石が落ちて死ぬかもしれない。ないだろうけど、確実にないとは言い切れない。だったら、今日を楽しく過ごさない理由はない。

律儀に過ぎていく時間の中でどう生きるかということを少しだけ考えたら、あとは楽しめばいい。世界は案外いい加減だということに気づいて、それを許容して生きようとする、そして成長していく、みたいなどこかで聞いたフレーズが頭から離れない。

買い物しようよ!

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コメント

  1. IPPEI より:

    タッキーさん
    コメントありがとうございます。
    夜のテンションで何となく書いた記事が意外と反響を呼んでいて戸惑っています。僕も似合わないことを書いてしまいました。(どやっ・笑)

  2. タッキー より:

    本を読み、物思いにふける・・・
    それは何のため・・・

    人が幸せになるためには、人に必要とされる生き方をする事なんだと思います。

    一人の時間は、次の瞬間に会う誰かのためにある・・・
    そして
    そのうち大切な人に遭遇する日がやってくる事でしょう・・・

    などと似合わん事を書いてしまった・・・