IPPEIはなんで旅行しないの? ― 最近そう聞かれることが非常に多い。理由はあまりにも簡単だ。無難に大学の単位も取り終え、就職先も決まると、私立文系の4年後期なんていうのは暇でしかなく、多くの友人がバイトと旅行に明け暮れているにもかかわらず、僕は決してそうしようとしないからだ。

旅というものにブームなんてときはなく、言ってみればいつだってブームなわけで、それはもしかしたら旅嫌いな人たちに肩身の狭い思いをさせているのではないかと、最近思えてならない。「せっかく時間があるんだから海外行きなよ!社会人になったら1ヶ月の旅行とか行けないんだよ!」という言葉に違和感を覚えている人も、少数派ながらいるはずだ。

僕は別に旅行嫌いというわけではない。もちろん好きというわけでもない。自分では普通だと思っているが、まわりの友人から相対的に見ると嫌いな方なのだと思う。今日はその理由を結構真剣に考えてみる。一応断っておくが、旅崇拝主義や意識高い系へのアンチテーゼなどでは決してない。(でも旅崇拝主義は理解できないけどね)

まずはじめに考えられるのが、お金がないということだ。確かに、お金というものはいつだってない。王族や資産家の家庭に生まれたわけでもないし、今は特にバイトもしていない。

だが、冷静に考えてみると、それは理由にならないかもしれない。なぜなら、今年に入ってから買ったガジェット類は数知れないし、スタバなどのカフェに費やした金額も大きい。信じがたいことだが、つまりこういうことだ。もし、新しいキヤノンの一眼レフや、ちょっと奮発しすぎた腕時計、ソニッケアーの電動歯ブラシ、Apple TV、オーディオなどを一切買わずに、さらにカフェにも一切行かなかったとしたら、2週間程度のイタリア旅行に今頃余裕で行っているはずなのだ。というわけで、お金の問題ではない。

次に考えられるのが、面倒くさいということだ。これはもう否定のしようがない。僕の性格を見れば明らかだろう。

旅行というのは、あらかじめチケットや宿を押さえたり、出発が近くなればスーツケースに荷物を詰めたりしなければならない。いったい何を持っていけばいいというのか、僕にはいつもわからない。さらには海外旅行ともなれば、パスポートの期限が切れてるだとか、通貨はなんだとか、保険はどうするだとか、時差があるだとか、変圧器はもったかだとか、携帯はどうするだとか、もう何が楽しくて準備しているのかわからなくなる。

だから、僕が行ったことのある旅行というのは、完全にパッケージされたツアーか、何の準備もせずにいきなり新幹線に飛び乗るスタイルの国内旅行か、あとは修学旅行くらいだ。間違っても往復の航空券だけ買ってアジアを周遊というような経験はない。そう考えると修学旅行というのは素晴らしいものだと思う。バスが勝手に連れ回してくれて、何も考えなくていい。

そして最近、もっとも確信的な理由に気がついた。自覚が全くなかったから、気づくのに多くの年月がかかってしまった。

僕は荷物が多い状態で移動することが激しく嫌いなのだ。ガチの旅行ともなれば、スーツケースにリュック、そしてカメラを持っていかなければならない。そうなると、まず最寄り駅まで行くためにタクシーを呼ばなければならない。なんとか駅へ着いたら、階段やエスカレーターを上らなければならない。いくつかの電車を乗り継いで、ようやく新幹線に乗って棚にスーツケースをどっこいしょと持ち上げたときには、既に体力の85%を消費してしまっている。多くの旅好きな人にとっては信じがたいかもしれないが、僕はそれがどうしても嫌なのだ。無理なのである。

だから僕は何処へ行くにも、小さいリュック1つと手提げかばん1つ以上は持っていかない。春休みに北海道へ5泊くらい行ったときも断固としてそれだけの荷物で行った。それ以上あると羽田までたどり着けない恐れがあった。足りなくなった着替えは現地で買った。それよりたくさん荷物が必要なときは、あらかじめ現地へ送るしかない。恥ずかしいことに、僕は帰省するときでさえ別便で荷物を送ることがある。

とまあ、いろいろつらつら書いてきたわけだが、例によって大事なことは最後に書くというプレイをさせてもらう。

結局いろいろ言ったところで、今書いてきたことは僕の旅嫌いの理由には決してならない。旅嫌いの理由の例をいくつかあげたにすぎない。そもそも、旅嫌いというのはまわりと比べたらというだけの話であって、僕の基準ではこれが普通である。それに、勘違いされてはいけないので言っておくけど、僕はそれほど面倒くさがりではない。18きっぷの旅をしたことだってある。飛行機も好きだし、電車も好きだ。

じゃあどうして大学生のうちに積極的に旅をしようとしないのか。それは極めてシンプルで、あまりにも分かりきったことだ。旅よりも自分が熱中できるもの、金をかけたいと思うことが他にたくさんあるからだ。僕はこのとおり、生粋のガジェット系男子なわけで、モノを買うことや、買いたいものを吟味することが、何よりも好きなのだ。そして、新しい土地で好奇心を刺激されるより、行きつけのカフェで読書をしたり、洒落乙な公園を開拓したりして休日を過ごすほうが、僕にとっては幸せなのだ。

結局のところ、何でもそうだけど、プライオリティーの問題にすぎない。僕たちの使えるお金には限りがあるわけで、その制約された予算の中で、自分の幸せを最大化しようとするのが人間の性だ。ホンダのステップワゴンが「モノより思い出」と言っているのと同じように、IPPEIは「旅よりガジェット」と考えている、それだけのことだ。もし目の前に1千万円積まれて、買いたいものを一通り買ってもまだ余ったら、今すぐにイタリアにでも行くだろう。

人が持っている価値観や幸せのスケールは、それぞれだ。決して誰一人として同じ人はいない。それなのに、「学生のときに旅行しまくらなきゃもったいない!」とか「若いうちに世界を見ておけ!」とか僕に言うのは、ちょっとだけ小さなお世話なんじゃないかな。