音楽とオーディオについて僕が思うこと

もう数日前のことだが、あるブログ記事が話題になった。ごく簡単にいうと、「今の小学生はCDなんて買わずにYouTubeで音楽を聞いていて、それで十分だと思っていて、なんということだ!」という内容だ。

Broadcast To The Blog 「音楽の価値とは??」

僕なりにここ数日いろいろ考えたので、少し書いておこうと思う。あまり上手くは言えないけど、僕の音楽に対するスタンスがなんとなく伝われば幸いだ。

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ひとまず僕の話をしよう。僕は週に1回ほどTSUTAYAに行って、5枚ほどのCDを借りてきて、iTunesに取り込む。僕の音楽に対するスタンスは「広く浅く、ときどき深く」なので、ランキングや新譜の棚はもちろん、気になっていたアーティスト、ジャズやイージーリスニング、ジブリのチャラいアレンジとかもチェックする。という感じで、割と何でも聞いているのだ。このスタンスにおいてはTSUTAYAは安くて便利だ。だが一方でとても好きなアーティストというのも少しはいて、そういうアーティストがアルバムを出したときは、ときどき買う。主には、長渕剛、いきものがかり、桑田佳祐あたりだ。

僕の例を出してみたわけだが、人によってはCDを年に100枚買うけどレンタルはほとんどしないという人もいるだろうし、レンタルはしないけど家ではYouTubeを流しっぱなしという人もいるだろう。だから、参照先の記事の小学5年生が音楽はYouTubeでしか聞かないというのも、別に何にも不思議なことではない。

CDが売れなくなったのは決して今に始まったことではないし、確かにYouTubeで聞けるからそれでいいという時代だ。これは仕方のないことだ。ここ十数年で僕たちはインターネットというツールを手に入れたからだ。CDに限ったはなしではない。本や雑誌も売れなくなった。単純に考えれば可処分所得の使い道が、CDや書籍から、ネットや携帯の料金に移ったようなはなしかもしれないし、そうではないかもしれない。どちらにしても時代は変わったし、これからも変わり続ける。

だったらどうしろというのだろうか。(僕は冷たい人間だからかもしれないが)商売をする人が時代に適応すればいいだけのことだと思っている。CDの売り上げが得られないなら、CD以外の収益性のあることを考えればいいし、それもダメならそれはコンテンツとして既にダメだということだ。あまりにも当たり前でそして冷酷なことに、人々は自分が本当にいいと思ったもの、欲しいと思ったものから優先して金を払う。結局のところ、すべてはプライオリティの問題にすぎない。そう考えると、本当に消費者を魅了するコンテンツを作ることがアーティストの仕事であり、時代にあわせてそれらをいかにして金に変えるかを考えることがレーベルの仕事なのではないだろうか。「CDが売れませ~ん」とか言ってベスト盤出しまくる前に、いい音楽を聞かせてくれと、思ってしまう。

とか言っておきながらこんなことも思う。このような考え方の違いを生みだす原因となっているのは、生まれたとき、あるいは物心ついたときの環境なのかもしれない。僕たち(23歳)が物心ついたとき、インターネットってものはまだなかったけどCDはあって、高画質なカメラを搭載したiPhoneっていう携帯端末はまだなかったけど眼デジはあった。一方で、記事の小学5年生は生まれたときからインターネット環境があって(かっこいい言葉でいうとデジタル・ネイティブ!)、下手したら直径12cmの音楽を聞ける円盤に一度も触れたことがないかもしれない。いや、さすがにそれはないだろうけど、10年後の小学5年生だったら普通にありえると思う。

書いておいてアレだけど、別にだから何だって話だと思う。「CDで音楽を聞いたことないなんてかわいそうに…」という大人たちはいつだっているし、たぶん20年前のCDが普及し始めたころだったらレコードについて同じ議論がされてきただろう。レコードがカセットテープになって、それがCDになったわけだが、それらの進化に比べるとインターネットの登場はあまりにもインパクトが大きすぎた。よくも悪くも。テクノロジーの持つ時代に対する加速度が桁違いだったと思う。

さて、例によってここからが本当に言いたいことである。音楽をYouTubeで聞くことが当たり前の人にとっては、CDなんて面倒なだけで、音質なにそれ食えるの?的なことは十分あるだろうし、僕も認める。だけど、認めた上で、やっぱり音楽においては音質ってのはある程度大切だと思っている。

レコードやCDという円盤は、生演奏(ライブ)じゃなくても聞けて、何回でも聞けて、好きなときに聞けるという画期的な発明だったはずだ。それ以前は、ホールでオーケストラの生演奏を聞くとか、ラジオを聞くとか、そういう方法しかなかったはずだ。そう考えると、円盤メディアというのは生演奏の代替的な機能を持っていて、それの登場はすべての庶民にとって音楽を身近なものにしてくれたのだと思う。

そこで思うのは、だったらCDを作ったアーティストの思いを、できる限り忠実に再現して聞きたいし、聞くべきだということだ。僕がいつも言っている「解像度」というのもつまりはそういうことで、楽器一つの音までもれなく聞かないと気がすまないのだ。僕たちの心をドキドキさせてくれるはずのベース音を、そのパソコンの貧弱なスピーカーで消してしまうなんて、あまりにももったないと思うのだ。そういう理由で僕は、自分が納得のいくスピーカーやヘッドフォンを使っている。

ちなみに僕はライブとかコンサートって数えるくらいしか行ったことがない。スタンディングで音楽を聞くよりも、やっぱり自分の好きなペースで、好きな部屋で、あるいは電車に揺られながら聞く方が、僕はずっと好きだからだ。ライブに行ってこそ本当のファンだ、という人がたまにいるが、そんなことは全くないと思う。アプローチの仕方は違っても、好きなことには変わりない。

それで結局、その記事から何を感じたかというと、その小学生も一度でいいからガチなオーディオで音楽を聞く機会を与えられたなら、ほんの少しだけ音楽の聞き方ついての考え方が変わるかもしれないし、そんなことはないかもしれないということだ。だけど、強いアンプと大きいスピーカーが放つ音を一度でも聞いたことがあって、それを知っているということは、その子の将来において悪いということは絶対ないはずだ。

僕が小学生のとき、ある友達のお父さんがそれは立派なオーディオルームを持ってて、よく聞かせてもらいに行ってた。山水のアンプだったことくらいしか覚えてないが、初めて聞かせてもらったときはCDってこんなにたくさん音が入ってたんだと驚いた。それからしばらくして彼が、もう処分するからといって、ビクターのアンプと、パイオニアのスピーカー(これも結構デカくて、うちの親にはどこに置くんだと怒られたものだ)をタダでくれたのだ。数年後に故障して処分してしまったのだが、小学生の僕にとってその体験はあまりにも楽しすぎた。それらが音楽やガジェットについての僕の考え方にいい影響を及ぼしているということは間違いない。

楽曲やアーティストを好きになるのと同じように、オーディオ機器を好きなることもまた、音楽のひとつなのかなと思わされた記事だった。

買い物しようよ!

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