小学生のころは長渕剛を聴きまくり、高校ではアコギで尾崎豊をかきならしていたIPPEIが、なんだか最近「いきものがかり」が大好きらしいという噂がよく聞かれるらしいが、本当だろうか。まあ、好きじゃなかったらこんな記事わざわざ書かないよね。
実はメジャーデビューしたころからずっと好きで、アルバムの半分は買って持っているし、買ってないものでもiTunesにはすべて入っている。インディーズ盤もヤフオクで1枚だけだけど落として持っている。そのくらい好きだ。これはあまり知られていなかったことかもしれない。いきものがかりを好きだということを、人に言うようになったのはここ最近のことだからだ。別に隠していたわけではないのだが、軟派だと思われるかもしれないという余計な感情が僕にそうさせていたように思う。
そんな感情を取り払ってくれたのが、2012年の年末にNHKのBSで放送していた、2回にわたるいきものがかりの密着ドキュメンタリーだった。ちなみに僕は、ドキュメンタリーというものが苦手で、めったに見ない。いつも言っていることだけど、ラーメンを語るラーメン屋を嫌いなのと同じように、音楽家は音楽を語るな、音楽で語れと思ってしまうからだ。どのようにして曲が生まれただとか、どんな壁があったかだとか、そういう話を聞いたところで、僕の中でその楽曲の評価が変わることはない。僕にとっては背景など興味の対象ではなくて、あくまでもその作品が好きか嫌いかでしかないのだ。
だけど、この番組は見るしかないと思った。今までいきものがかりのことをあまり知らずに聴いてきたけど、そろそろ彼らの語るところを見てみたかった。彼らの話を聞いてみたかった。そして、その番組は、しっかりとそれを聞かせてくれた。彼らが語っていた、彼らの音楽に対する思いというものが、あまりにも潔くてかっこよかった。もっと言ってしまうと、彼らは「音楽に対する思い」で音楽をやっているという印象を与えないのだった。
山下君がこんなことを言っていた。「僕らがやりたいのは歌謡曲。大衆食堂でいい。ただの肉野菜炒め定食のある大衆食堂。でもやるからには美味しい肉野菜炒め定食を出したい。みんなが歌える『みんなのうた』をやりたいし、それしかできない。」これが何より僕にとって衝撃的で、そして僕がいきものがかりを好きな理由はここなんだなと思った。
たぶん僕の説明はあまりにも足りなすぎて、まったく伝わらないと思うので、ナタリーからこんな記事を見つけてきた。
ナタリー [Power Push] いきものがかり
まあ、この記事を読んでくれれば、十分だと思うけど、少しは音楽的な話もしよう。
いきものがかりの楽曲って、安心感みたいなものがあるのだと思う。その安心感というものは、メロディやコード進行に因るものだと思うのだけど、いきものがかりはメロディにおいてもコード進行においても、決して僕たちを裏切らない。あまりにも予期できないコード進行やメロディラインは、ほとんどない。王道なコード進行、わかりやすいメロディ、普遍的な歌詞。でも、聴いてるうちに気がついたら口ずさんでいる。そんな曲が多い。「誰でも歌える歌謡曲を作りたい」という彼らの言葉は、この曲調を説明するにはあまりにも十分すぎる。
僕は、最近のJ-POPは主張しすぎていて安心感や安定感に欠けると思っている。不安定さや奇抜なメロディラインこそがかっこいいと思っている音楽家も少なくはないと思う。それらは、意識の高い音楽ともカテゴライズされるかもしれない。音楽においてもマーケティングにおいても、差異化を図るということは何よりも基本的なことだし、そうしたくなる気持ちもわかる。だけど僕は安心感のない音楽は、めったに聴きたくならないし、なにより歌いたくならない。自分でギターを弾いて歌えるくらいの曲が、僕にはちょうどいい。
まあ、エラそうにいろいろ語ってきたけど、本当のことを言うと、聖恵ちゃんが大好きなんだよね。顔も、声も、なんていうか全体的にタイプなのよ。もちろん、水野君も山下君もね。「いきものがかりはダサいんですよ」 水野君はそう言っていた。最高に潔いじゃないか。
コメント
おや、コメントがまだありません。