それは先日のこと。高校時代の写真部の何人かで久しぶりに集まった。そのとき、夏も終わるし俳句でも詠もうと、石橋が言った。
俳句というのは、究極的に短いポエムだ。だって、短歌よりも短い。人々は昔から俳句や短歌といった、たった一行のポエムを作り、ときには女性にそれを送り、そして楽しんできた。その短さにこそ、俳句や短歌の面白さがある。たくさんの言葉を並べて表現することは簡単なことだが、より少ない言葉でより多くを伝えることは実に難しいことだからだ。人間の総合的なセンスが問われるのだ。
僕たちはマクドナルドのテーブルを囲んで、いくつかの句を詠んだ。僕はいつも体言止めを好んで使うのだが、この日は逆接の接続助詞で終わる句を詠んでみた。逆接の接続助詞というのは、なんとも言えない余韻を残す。読者に物語の続きを想像させる。
体言止めを好きだった僕が、逆接の接続助詞を使い始めたこともまた、僕の人生や心境の変化に因るところがあるのかもしれない。僕の撮る写真の多くが、主題がはっきりとしていてビビッドなものから、少しだけニュートラルなものへとシフトしていることもまた。
君の目を 見れずに夏は 過ぎたけど
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