幸せの閾値

安曇野といえばお気に入りのカフェは2つあるが、そのうちのひとつcafe hanaを訪れた。2年ぶりくらいだろうか。小さい店だが、テーブルやイスはちゃんとしていて、決して狭さを感じさせず、ゆっくりと過ごすことができる。大きい窓には暖冬の安曇野が広がり、BGMのボリュームは僕が求めているちょうどそのくらいだ。そして、言うまでもないが、とても美味しいコーヒーを提供してくれる。

安曇野を訪れるのは年に数回だが、決まって声をかける友人がいる。「コーヒーでも飲もう」の一言で集うことのできる貴重なマブダチのひとりだ。もう10年の付き合いになる。特に何かをするわけでも、どこか遠くへ出かけるわけでもない。だいたいは、コーヒーを飲んだり、公園を散歩したりするだけだ。それで十分なのだ。コーヒーや公園を好きな女の子に悪いヤツはいない。

ところで、彼女は今日、あまりにもかっこいいことをサラッと言った。

私はこの頃とても幸せだ。というよりも、何でもないようなことに対して以前より幸せだと感じるようになった。「幸せの閾値」が下がったんだ。今日は天気がよくて気持ちいい。それは私にとって幸せなことなんだ。

こういう考え方って意外と難しいことなのかもしれない。人間なら誰だって、物や他人に対して不満を抱えたり、あるいは自分自身の境遇をついネガティブに捉えてしまうものだ。人生において向上心を持つことは大切なことかもしれないけど、一歩間違えれば、幸せの閾値をひたすら高いものにしてしまいかねない。何でもないようなことに幸せを感じることができる、あるいは意識的にそれを感じようとしている彼女は、とても素敵だと思う。だって、その方が楽しいに決まっているから。

僕は小学生のころから長渕剛をよく聞いたてきた。「幸せはなるものじゃなく、感じるものだ」というフレーズにはガキながら武者震いをさせられたし、僕の人生の要素になっていることは間違いない。今日の彼女の話は、僕にその曲を思い出させてくれた。

「幸せの閾値」という言葉、なんかいいなと思った。

冬のグラデーション

写真は梓川サービスエリアにて撮影。冬のグラデーションは透明感があってなんとも美しい。こんな素晴らしい景色を写真に撮って、こうしてブログで紹介できることは、僕にとってとても幸せなことだ。

買い物しようよ!

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