冬の喫茶店

12月も半分が過ぎた。この時期になると加速度的に日が短くなっていく。毎年そんな気がするけど、たぶん気のせいだ。夜は好きだけど、昼が短いことは苦手だ。総じて言うなら、この季節は少しだけ苦手だ。

休日の夕方はたいてい喫茶店に行く。苦いコーヒーを飲みながら、読書をしたり、ネット上のしばしばしょうもない記事を読んだりしていると、空は次第に明るさを失っていく。そろそろおうちに帰らないと、と思って、少しだけ寂しい気持ちになる。それを感じる時間帯が、当たり前のことだが、夏と冬とでは全然違う。

2016年も12分の11が過ぎた。一年が過ぎるのは、とてつもなく早い。大人になると時間の経つのが早くなることを教えてくれた小学校の先生は、今頃どうしているだろうか。

今年も特段代わり映えのする年ではなかった。仕事を続けて、何件かの結婚式に出席して、写真を撮って、友だちと遊んでいるうちに、気がついたら一年経っていたという感じだ。極めて健全だと思う。

そうはいっても、いろいろが重なって、一時的だがかなりハードな時期もあった。そういうときはいつも、魔法の言葉「なんとかなる」で乗り越えるようにしているが、やっぱり案の定なんとかなった。その時は深刻に考えていたことも、時間が経って冷静になってみると、それほどたいしたことではなかったように思えてくる。長いスパンで考えれば、大変な状況なんて一瞬の杞憂に過ぎないことに気づく。それが「人生なんとかなる」のスタンスだ。

人生に限った話ではないが、長い目で見ることは運転においても大切だ。最近の車にはACC(アダプティブ・クルーズ・コントロール)が付いている。設定した速度の範囲内で、前の車との適切な車間距離を保ち、自動で加減速してくれる機能だ。高速道路なんかだとかなり便利で、長距離ドライブの疲れを軽減してくる。しかし、一般道路で使うとギクシャクしてしまうことも多い。信号があったり、渋滞していたり、前車が急にお店に入るために減速したり、といった要因が多いからだ。

私たちが車を運転するとき、一台前の車だけを見て速度調節をしているわけではない。前方の混み具合や信号の変わり目、勾配、前方何台かの車のブレーキランプや方向指示器などを総合的に見ているはずだ。ところが、最新のACCであっても、システムが把握しているのは直前の車だけであり、そのことが市街地走行においてはぎこちなさにつながってしまう。性能がどうとか言っているのではなく、仕様だから仕方のないことだ。そして、あと10年経てばわからないが、現時点ではコンピューターより私たちのブレインの方がよっぽどキレるということだ。

私たちは、運転において、あるいは人生において長い目で見るということができる。目の前の状況だけにとらわれずに多くを読み取り、常に的確な判断ができる。しかし、どうしようもないほどの何かに押しつぶされそうになったとき、私たちはその能力を失ってしまうことがある。困難な状況下では一つに囚われてしまって、人生はなんとかなるという思考は忘れ去られる。人は誰だって脆弱だと思う。だからこそ、そのことを認めて、理解して、新しい年も楽しく過ごしたいと思う。

今日はもう帰ろう。すっかり暗くなってしまった街に急かされ、僕は喫茶店を去る。

買い物しようよ!

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