「痩せた?」は「太った?」と同様に失礼極まりない言葉だ

台風が過ぎ去るたびに、車のオートエアコンが暖かい風を吹き出し始める。何度も言うが、秋が本格的になっていくこの季節が、僕はとても好きだ。

気づけば立冬、つまり冬だ。

涼しくなってきたおかげで、休日には趣味のランニングをより快適に楽しむことができる。今日もゆっくりとしたペースで10km走った。走るときは音楽やラジオ、場合によっては英会話のポッドキャストを聞いたりしている。実に気持ちがいい。また近いうちにランニングに関する記事を書こうと思っている。

ところで、そのポッドキャストでとても共感できる話をしていたので、今日はそれについて書こうと思う。どんな話かというと、年齢や恋愛事情、あるいは体重などのプライベートなことについて、他人に対して聞くのは絶対ダメだよね、ということだ。その話を聞いた瞬間に、走りながらにしてこの記事のアウトラインが浮かんできたのだ。

というのは、職場などで「痩せたよね?」と言われることが最近とても増えたからだ。なぜなら、痩せたからだ。週1回のランニングと、遅い時間に炭水化物を食べることを控えたことの成果である。

「痩せた?」という言葉は「太った?」と同等に、他人にかけるには失礼な言葉だ。プライバシーに大きく踏み込んだ言葉だ。だが、そういう認識がない人も残念ながら結構多い。

他人に対して「太ったね」とか「デブ」などと遠慮なく言う人はあまりいない。それが失礼であるという共通の認識があるからだ。日本においては、痩せていることに比べて太っていることの方が劣っているという風潮がある。確かに、太っている方が、食生活がだらしないとか、体を動かしていないというイメージを他人に与えてしまうし、健康上よくないことも事実だ。

一方で、「痩せたね」という言葉は比較的遠慮なく使われているのではないだろうか。むしろ、褒め言葉として使う人も多い。確かに、痩せたくてダイエットを頑張った人に対して「痩せたね」と言うなら、この上ない褒め言葉になるだろう。しかし、世の中には痩せたいと思っていないのにスリムな体形の人や、体調がすぐれなくて痩せてしまった人だっているはずだ。

そのような事情を知っているくらいの親しい間柄において「痩せた?」とか「太った?」とか言われるなら、それは全く問題ではない。だが、それほど親しくない人にいきなり言われると、つい拒否反応が出てしまうのは僕だけではないはずだ。

要するに、人と人との関係性の問題であり、もっと根本的なことを言えば、お互いが相手をどのような関係だと思っているかが、お互いに一致しているか否かが、この問題の本質なのかもしれない。一方は親友だと思っていても、もう一方は特に親友とは思っていない、というケースは意外と多いものだ。

だから、他人に何かを言うときは、十分に考慮しなければならない。体型の変化について言及してもいい間柄なのかを、相手が自分のことをどの程度の友達だと考えているのかを、できる限り吟味しなければならない。

僕はものすごく人見知りで、友達になるための「しきい値」が非常に高い。本当に仲のいい友達になってしまえば何の遠慮もなく話せるが、そこに達するまでのハードルがあまりにも高い。時間もかかる。初対面の場合はもちろんだが、同じ職場の人なんかで何年かの付き合いであっても、簡単には心を開けないのである。もちろん、嫌いということではなく、仲良くなるのに他の人より少しだけ時間がかかるというだけのことだ。

自分自身がそういう人なので、他人に対してかける言葉にはいつも気をつけている。その人について何らかの質問をするときは、特に慎重になる。聞きたいことがあっても、こんなプライベートなこと聞いたら失礼かなと考えて、結局聞かないことも少なくない。だからといって、そのような性格によって、他人に気を遣いすぎて疲れてしまうということは全くない。自分がされて嫌なことは他人にもしてはいけないと、僕たちは教わってきたはずだ。

一方で、誰とでもすぐに仲良くなれる人もいる。初対面の人とも遠慮なく何でも話せる人もいる。そういう人たちにとっては、恋愛事情を聞くのも、容姿について言及するのもそれほど重大なことではないのかもしれない。だが、それをあまりにもストレスに感じてしまう人もいるということを、十分に理解しなければならない。

ランニングの話にも関連するのだが、食生活を見直したり、運動をしてみたり、あるいは体調の変化もあるかもしれないが、ここ数ヶ月でウエストが結構スリムになったのだ。去年のズボンがベルトをしないと落ちてしまうくらいには変化した。体重も1年間で5kgくらい落ちた。

健康的な体型になることは実に嬉しいことだ。しかし、職場の人や、それほど頻繁に会っているわけでもない知り合いに、一言目にいきなり「痩せた?」とか「痩せたよね?」とか言われると、正直あまり嬉しくないのだ。嬉しくないので「まあ…」と答えると、「具合悪いの?」とか「どうかしたの?」とか聞かれるものだから、さらにいっそう嬉しくない。あなたには関係のないことですが何か、と思ってしまう。ヘソが後ろに付いているのだと、我ながら思う。

他人のプライベートに平気な顔して土足で踏み込んでしまう人が、この時代になっても意外と多いことに戸惑ってしまう。そのような人々のことを「デリカシーの欠片もない田舎者」と僕は呼んでいる。 だが、突き詰めれば、他人に対して必要以上に干渉しないことこそが都会的でありシャレオツであるという、田舎者な僕の偏見なのかもしれない。

まとまりのない記事になってしまって、本当にすまないと思っている。

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