非同期コミュニケーションにおける「夜分に失礼します」の95%は翌朝に読まれている

僕の勤務先は年中無休のサービス業なので、出勤はシフト制だ。そうすると必然的に、上司や同僚が休みのときに連絡を取らないといけない事案がしばしば発生する。逆もしかり、自分が休みのときに連絡が来ることもある。

一昔前であれば連絡手段は電話しかなかった。ところが、ありがたいことに、メールやLINEなどの「非同期コミュニケーションツール」が普及した現代においては、よほどの緊急事態を除いて休みの人に電話をかけることはほぼなくなった。

たまに「お休みのところすみません」と言いながら休みの日に遠慮なく電話してくるヤツがいるが、そういうヤツに限ってたいして緊急でない用件だったりするものだ。LINEでいいだろとつっこみたくなる気持ちを抑えつつ、共有フォルダで検索をかければすぐ見つかりそうなファイルの場所をいちいち説明する。

おっと、話が脱線しかけている。時を戻そう。

これから書くことは、あくまでも僕の考え方であり、正しいかどうかは分からない。でも、最近いろいろ思うことがあり、この記事を書くことにした。ポイズンな内容になることは否めないので、ご了承願いたい。

非同期コミュニケーションなら相手の時間を拘束しない

よほどの緊急性があるとか、自分のせいで発生したトラブルの場合を除いて、休日にかかってくる仕事の電話ほど休日の質を低下させるものはない。最悪である。

休日や休憩時間などオフの連絡は、せめて、メールやLINEなどのテキストメッセージ、すなわち非同期コミュニケーションにしてほしいものだ。それはつまり、相手の時間を拘束しないコミュニケーションの方法である。

最近感じているのは、同期コミュニケーションと非同期コミュニケーションの線引きや使い分けができていない人があまりにも多いということだ。

どういうことかというと、休日に平気で電話をかけてくる一方で、LINEの文面は「お疲れ様です。夜遅くに失礼します」と非常に丁寧。悪いとは言わないが、夜遅くに読むか否かは受け手が決めることだし、通信リソースも僕の脳リソースももったいないからサクッと用件だけ送ってくれよと思ってしまう。(性格がねじ曲がっているという自覚は少しだけある)

メールやLINE、あるいはグループチャットにおける「お休みのところ失礼します」とか「遅い時間にすみません」という書き出しの1行は、いったいどれほど意味があり、そして必要なのだろうか。僕は昔からこの類いの前置きが地味に嫌いだ。バイト(チリも積もればギガバイト)の無駄遣いだとさえ思っている。ついでに「いつもお世話になっております」の前置きも嫌いだが、これに言及しているとこの記事の容量が数キロバイト増えることになるので、今日は触れない。

メールやLINEといった「非同期コミュニケーション」というのは、そもそも相手の時間を拘束しないコミュニケーションのツールだ。送信側も好きなときに送信していいし、受信側もまた好きなときに読むことが許されている。というか、そういう前提で設計されている。通知をオフにするのも自由だし、既読無視するのも自由だ。好きなタイミングで読んで、時間があるときに返信すればいいし、あるいは返信しなくてもいい。もちろん勤務中であればそういうわけにもいかないが。

僕は、夜10時以降はおやすみモードになるように設定しているので、基本的にすべての通知がオフになる。社内用グループチャットアプリに限っては、夜8時以降と休日は通知オフにしてしまおうかなとさえ最近は思っている。勘違いしないでほしいのだが、勤務時間外にLINEを送ってくれるなと言っているのではない。いくらでも送ってくれていいけど、いつ読むかは僕が決めることだというだけのことだ。休日に仕事のことを考えることは著しくQOLを下げる行為なので、願わくば通知さえも見ないで過ごしたいものだ。

ここで僕が言いたいのは、逆に、非同期コミュニケーションツールで連絡をとる場合に、相手が休日だとか、あるいは就寝中かもしれないということを気にして、送信するのをためらう必要など本質的にはまったくないというこだ。気を遣って書き添えた「遅い時間にすみません」の95%は、翌朝に読まれることになるのだから。

もちろん相手に気を遣うことも大切なことだし、電話や取引先への郵送物であれば「いつも大変お世話になっております」の前置きも欠かせない。一方で、LINEやグループチャットなどの、あとから遡って読むことが多いテキストメッセージにおいては、その類いの前置きは地味に邪魔になるし、僕たちにより多くのスクロールを強いる原因になってしまう。

相手は待たせればいいし、待たせることは決して悪ではない

そういえばつい先日のことだが、愛用している1Passwordのサポートとメールのやりとりを3往復ほどすることがあった。英語だったが、日本語話者の僕にも分かりやすく、たいへん高品質なサポートだった。ただ、時差もあるためか、30分で返信がくることもあれば、1日以上待たされることもあった。

感心したのは、どれだけ返信が遅くなっても「お待たせしました」という言葉がまったくなかったことだ。まあ、英語にそのような表現がないのかもしれないが。だいたいのメールが「こんにちは、返信ありがとう。では次の手順は…」みたいな感じだった。それでイナフだったし、余計なことが書かれていないおかげで、英語力が乏しい僕にもスムーズに解読することができた。

そして、客に対してさえ、待たせることが悪いことだという認識はおそらくないのだと思う。僕たちは普段のビジネスメールで「いつも大変お世話になっております。ご返信遅くなり申し訳ございません」なんて常套句を多用しがちだけど、そんな上っ面なセリフはまったくいらねえな!とつくづく実感した。1週間も待たせてるわけではないのだから。

仕事のできるヤツはメールやチャットを即レスしない、という記事をそういえばどこかで読んだ気がする。緊急なら電話してくるでしょう?

勤務時間外に電話をかけることは法律で禁止していいと思う

一方で、非同期コミュニケーションとは違い、電話などの同期コミュニケーションの場合は、相手の都合が最大限に配慮されなければならない。電話は、最も相手の時間を拘束するコミュニケーションツールである。出なければいいという話だが、通知画面に会社の番号が表示されれば、いったん無視して後から折り返すよりは、出た方が無難という判断を誰もがするだろう。

ここで、少しばかり脱線しよう。携帯電話のない黒電話の時代、もちろん今みたいに通知オフとかおやすみモードなんてない。通話中もしくはわざと受話器を上げている場合を除いて、電話をかければ真夜中だろうが相手の電話機は鳴り響くほかなかった。

ところが、電話機が高機能になり、夜はベルを鳴らさずに自動応答メッセージになるとか、そういう設定ができるようになった。スマホにおいては、何時以降は通知オフになるが、特定の相手に限り通知したり、同じ番号から複数回の着信があった場合のみ通知したりすることもできる。

先日、会社で緊急事態があり、夜中の2時に上司から着信があったのだが、もちろん通知オフになっていて翌朝まで気づかなかった。翌朝、もう3回かけてくれたら出たかもしれないと言ったら悔しがっていた。

また最近では、スマホを2台持っていたり、デュアルSIMで複数の回線を持っていて、勤務時間外は回線自体をオフにしている人も少なくないだろう。そう考えると、今どきの電話は、昔ほどは相手の時間帯や都合を気にせずに使えるツールになったのかもしれない。余談はここまでだ。

勤務時間内であれば「いま電話OK?」くらいでいいだろうが、休憩時間や休日に電話をかけるともなれば「貴重なお休みのところ無礼を心よりお詫びしますが、どうしても確認したいことがあるので3分だけよろしいでしょうか?」くらいの前置きが立場を問わずあって然りだ。

もっと言えば、いきなり電話をコールするのではなく、まずはテキストメッセージで「どうしても急用があり電話をしたいので、電話をいただくか、都合のよいタイミングを教えて下さい」と送信するのがベターだろう。

いや、そうではないかもしれない。よく考えてみると、どれだけ恐縮しているかということは実はそれほど重要ではなくて、その電話の内容にどの程度の緊急性があるかで、大きく気分が変わるというのが実際のところだ。僕でなければ解決できない緊急の用事であれば仕方ないと思う一方で、誰でも分かるようなことや、フォルダを検索すれば出てきそうなドキュメントについて、休みの日に電話してきてんじゃねぇ!ってなるのは誰だって同じだろう。

まあ、とにもかくにも、僕は欧米かぶれ的なところもあるので、仕事とプライベートを混同することがとにかく嫌いなのだ。EUの一部では、従業員の休日に連絡を取ることを禁止する法律があるらしいが、日本でも是非導入してみてはどうだろうか。

同期と非同期のコミュニケーションをうまく使い分けて、ストレスなく暮らしたい

今日もまた話しのまとまらない記事になってしまった。本当にすまない。

ジェネレーション・ギャップと言ってしまえば簡単だが、ここ数十年で僕たちのコミュニケーションの方法は大きく変わった。メタルの電話回線やゴッツイ電話機はすでに懐かしいものになりつつある。

かつては、友達だろうが同僚だろうが、自宅の固定電話にかけて家族の方に取り次いでもらわなければ、休みの日に連絡を取ることなんてできなかった。30年のあいだにテクノロジーは大きく進歩し、より自由にもしくはフランクにテキストメッセージや通話をできるようになった。もちろん、これは素晴らしいことだ。ただ、それにより、僕たちの生活は以前よりも格段に他人と近いものになったが、それは良し悪しだなと僕は感じる。

僕がギャップと言いたかったのは世代間のものというより、非同期コミュニケーションと同期コミュニケーションの線引きをどこに置くかという点について、人それぞれに異なる価値観を持っているということだ。例えば、LINEを同期コミュニケーションとしてとらえるかどうか、すなわち深夜に送られてくるLINEに抵抗があるか否か。他の例だと、休日に仕事のことで連絡してくるなんて非常識だと思うか、休日だろうが仕事なのだから責任感を持って対応すべきだと考えるか。

もちろん、これらはいずれも、一概にどちらが正しいかという話ではない。異なる考え方の人たちが同じ世界で生きているというだけのことだ。しかし、つい無意識のうちに、他人の価値観が自分のそれと同じだと決めつけることで、他人に失礼な言動をしている可能性はないだろうか。

僕も気をつけたいと思う。

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