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ごみばこ論

ここ数ヶ月、私は、いろんな公園を歩いてみた。信州の公園はもちろんのこと、神奈川に戻ってからは、関東の公園もいろいろ行った。公園のクオリティは行政のクオリティとさんざん言っているわけだが、今日はそのことについて、もう少し具体的に述べようと思う。

一口に公園と言っても様々で、それらの違いは主に市や区などの行政区分に因る。例えば、相模原市は基本的に芝生が草ボーボーだったりするし、調布市では基本的にBBQ禁止だったりすることがわかった。まあ、その辺はあまり重要でもなくて、最も顕著な差として見えるのが、ゴミ箱の有無である。

おそらく都会の公園の多くがゴミ箱を設置していない。代わりに「ゴミは各自持ち帰りましょう」の看板がある。都会はコンビニの密度が高いので、私を含むマジメな人なら持ち帰って途中のコンビニに捨てるとかするだろうが、実際のところ放置していく人も少なくないのが現状だ。多くの公園には、常にビニール袋や空き缶をはじめとする様々なゴミがあふれている。

原因は何か。私は確信している、ゴミ箱がないから。視界の範囲にゴミ箱があれば、多少面倒でもそこに入れるくらいは誰でもするはずだ。悪いやつが放置したゴミを、善良な誰かがさりげなくゴミ箱に入れてくれる可能性も大きくなる。逆に、いくら善良な人でも、他人のゴミを拾ってわざわざコンビニまで持って行く人は希だろう。

なぜ行政はゴミ箱を設置しないのか。単純に考えたらコストの問題かもしれない。だが、週に何回かあるゴミ収集で一緒に集めるとか工夫をすれば、たいしたコストにはならないような気もする。スタッフが定期的にゴミを拾うほうがよっぽどコストだと思えてくる。まあ、理由は何にせよ、公共空間にゴミ箱は絶対なければいけない。それは秩序の問題なのだ。秋晴れの休日、せっかく公園に行って気分もリフレッシュしても、片手にゴミを持って帰るなんて、例えコンビニまででも萎えてしまう。

ゴミ箱がないから地面にゴミが多い、という構図は極めて明瞭で、私は小学5年のころにその事実に気づいてしまった。当時の私は祭が大好きで、自分の町だけでなく、他の自治体の祭にもしばしば足を運んでいた。公園と同じように、祭ごとにゴミ箱の有無がわかれていた。とある町の祭は、「ゴミは各自お持ち帰りください」というスタンスだった。対して、とある村の祭は所々に何種類かに分別して捨てる特大ゴミ箱が設置されていた。ゴミ箱を設置していた祭の会場には、ゴミはほとんど落ちていなかったが、お持ち帰りくださいとか言っちゃってる会場は、当然大量のゴミであふれていたというわけだ。

放置されるゴミの量は、たいてい0か100に二極化する。誰かが1つ捨てれば、次の誰かが捨てる。その連鎖によって、瞬間的に100に達する。つまり、大切なことは、最初の1を捨てさせないこと。そう考えたとき、議論はゴミ箱だけにとどまらず、公園全体のきれいさを求めることになる。きれいなトイレはきれいに使いたくなるし、きれいにメンテされた芝生にゴミを捨てる行為は精神的エネルギーを要する。

私の基準を満たす公園は、なかなか現れてくれない

買い物しようよ!

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