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未来向きのベクトル

今日からブログのタイトルを、体言止めにします。なんでまた急にそんなことを思いついたかといいますと、文章や会話の中で美しい体言を用いれるようになりたいなと思ったからです。あるいは感嘆を。

例えばタイトルなんかだと、森絵都の「アーモンド入りチョコレートのワルツ」なんかは非常にいいなあと思います。長い形容詞というのはうまく使えば効きます。特に体言が短いほどいいんですよね。

前置きはこのくらいに。

東京に行く前に実家の片付けをしています。片付けをするときに時間をとられるものとしてあげられるのは、(1)卒業アルバムとか写真とか、(2)雑誌、(3)タイトルを書いてないDVD-R、などですよね。

今日は雑誌を片付けました。私はなぜか昔から雑誌をアーカイブしているので、本棚1段分くらいたまっていました。なんていうのか、雑誌っていうのはその時代がダイレクトにわかるから、将来読み返すといいだろうなあ、と思い捨てられないのです。それで、雑誌や書籍をたくさん買ってそうな友人にメールで聞いてみました。雑誌って捨ててる?なんと、普通に捨てるもんだそうです。まあ、毎月増えたらしょうがないですよね。というわけで、自分や友人が載ってる十数冊を残して全部捨てました。そして、友人は「モッタイナイは日本人の弱点」だと言いました。古い雑誌を片付けると、自分が一歩前へ進んだ気がしました。

小学校の頃ある友人が「思い出なんて糞食らえだ」と言っていました。その頃はなんだコイツと思っていましたが、最近になって同じように納得するようになりました。先日、さりげなくパクって後輩に「伝統なんて糞食らえだ」と言ってみたら、妙に納得されました。

結局、私たちは常に未来向きのベクトルを描き続けなければいけないのです。変化を恐れることは進化を止めることなのです。

最近、そうやっていろんなことを数学的に、あるいは物理的に、そして哲学的に語る癖がついてしまいました。最近のトレンドとしては「語る男はウザい」というのが通例ですが、それでも自分は捨てたくありません。ウザいくらいがちょうどいいって思ってくれる人がいいです。そんなわがまま、私だってたまには言います。

そうそう、写真雑誌を見返してるといろいろ思うのです。月例コンテストのコーナー、特に学生の部には、いわゆる常連さんってのがいます。毎月とまではいかなくても、2,3ヶ月に1回くらいは載ってる人。もちろん名前も掲載されてますから、「あ、またコイツだ」とか思うわけです。そんな感じで1年くらい読んでると、変な話、その人の性格が見えてくるっていうか、うまく表現できないけど、「あ、この人おれと同じベクトル持ってるなあ」とか、そういう感想を持つんです。そうすると、恋的なものとは違うけど、「この子と話してみたいな、会ってみたいな」とか思うんですね。

最近「人は見た目が9割」という新書が流行りましたが、確かに見た目も重要だけど、こうして、撮った写真だけを通しても、少しはその人の心がわかるような気になります。そう考えると、「おれの写真」を撮ることは永遠のテーマです。どこかの誰かが評価してくれるかもしれないから、常に期待を裏切らないように心がけなければいけないのだと、雑誌を読み返しながらふと思ったのです。

先日のクラス会のときに、ある女の子が「結局見た目かな」って言ってました。それが現実なのかもしれません。「もしおれが君を好きになるなら、君の心に惹かれるだろう」そんなセリフは瞬時に思い浮かんでくれませんでした。

買い物しようよ!

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