青春の代名詞的な役割として「部活動」というものが美しく語られすぎているのではないだろうか。僕は昔からずっと、そんな違和感を抱いてきた。今日のテーマはずばりタイトルのとおりだ。これを読んでいる方の中には、ちょうど新1年生になったところで、悩んで悩んで検索してきた方もいるだろう。最後まで読んでいただければ、「部活なんて無理して入らなくてもいいじゃん」とか「入ってみたけど合わないから辞めてしまおう」という結論に自信を持って至ることができるはずだ。体育会系やスポ根と言われる価値観が大好きな人には正直オススメできない内容となるだろう。そして、かなりポイズンな記事になることは避けられない。

ここ数年取り上げられているのはブラック部活だったり、あるいは顧問の負担が大きすぎるといった問題なわけだが、僕が言いたいことは、そもそも部活ってみんなそんなに好きなの?!ということである。中学や高校に入学したばかりの右も左もわからない新入生の中には、部活に入らないと友達ができないんじゃないかと不安に駆られて、なんとなく入部する人もいるのではないだろうか。入ってみたら思いのほか練習がハードすぎて、自分の時間もなくて、辞めたいけど辞めたらバカにされるんじゃないかとか、人が足りないから辞めてもらっては困ると言われたりして、悩んでいる人も決して少なくないだろう。

そもそも、ひとくちに部活動と言っても、様々な部があるだろう。様々なというのは、運動部や文化部という分類的なことではないし、野球部や吹奏楽部という具体的なことでもない。ではいったい何かというと、活動時間が自分にとって長すぎるか、あるいは適切かということである。

活動時間が長い部活というのは、大会やコンクールで勝利することを目的としているため日々の練習を欠かすことができない。そのため、毎朝授業が始まる前に1時間、放課後は3時間、土日も基本的に終日、というくらい大量の練習を強いられることも珍しくない。例えば、野球部やサッカー部、吹奏楽部など、競技人口が多い部活があげられる。

一方で、活動時間がそれほど長くない部活もある。例えば、写真部や書道部、あるいは短歌クラブなどの文化系の部に多いだろう。大会やコンテストなどが全くないわけではないが、あくまでも日々の活動そのものがメインであり、それらの部活には「練習」という概念がない。なので、基本的な活動は週1回だけということもある。文化系の部に多いというのはあくまでも一般的な話であり、中には週1で集まって草野球を楽しむだけの野球部だってあるかもしれない。とにかく言いたいことは、活動時間が極端に長い部活と、適切な部活があるということである。

率直にいうと、もし高校生活をより幅のあるものにしたいなら、活動時間の少ない部活を選ぶことを強くお勧めする。先に述べたようなガチガチの体育会系部活になんとなく入ろうと思っているなら、考え直した方がいい。貴重な青春時代の放課後に、一つの活動だけをやり続けることは本当に有意義なのだろうか。本当にそのスポーツなどが好きだとしても、日が暮れるまで、あるいは寒い冬の朝に、しかも週に6日も練習したいと思えるのだろうか。

社会人になれば、だいたい朝から夜まで勤務しなければならず、放課後という素晴らしい時間があるのは、まさに学生の特権である。そして、その放課後には、行くべき場所ややるべきことが無限にある。ファミレスや喫茶店、書店、河川敷、カラオケ、散歩、公園、恋バナあるいは恋愛…。もちろん、たまには部活に行く日があってもいいんだけど、それが毎日である必要は全くない。週1くらいの部活に3つ入った方が、コミュニティも増えるし、よっぽど有意義に過ごせるはずだ。

僕の話をしよう。中学校は野球部に入っていた。まだ無知だった少年IPPEIは、男子は運動部に入るものだと信じていたし、運動部の中ではそれが一番マシだと思って仕方なく入った。毎朝、毎放課後、休日と練習や大会があって、本当に嫌だった。別に野球が嫌いだったわけではないけど、毎日同じルーティーンに飽き飽きしていた。顧問が謎に厳しかったし、大きい声を出すことを強いられることも実にクソだった。声を出せば強くなるのかよ?と思いながら放課後を過ごしていた。

ところで、当時から同じクラスで、今でも長い付き合いとなっている友人の川村君は、美術部に入って絵を描いたり写真を撮ったりしていた。楽しそうでうらやましかった。その後、彼とは同じ高校に進学して一緒に写真部に入った。当時3年生に一応先輩がいたが、ほとんど活動してない感じだった。文化祭が終わって3年生が引退したところで、僕が部長になり、表向きには写真部を僕が立ち上げたことにして、卒業までいろいろと楽しませてもらった。

基本的な活動といえば、週1回集まって写真を見せ合ったり、雑誌に投稿したり、あとは週替わりで学校の廊下で写真展をやったくらいだ。勧誘しまくって部員が30人くらいになったけど、活動はいつまでもゆるゆるだった。顧問はとても理解のある人で、完全にノータッチでいてくれた。みんなでカメラ片手に散歩したり、ガストに行ったり、たまには電車で小旅行したこともある。気がついたら、そこそこの雑誌で賞を取ったり、総文祭の全国大会に行ったりしていた。

何が言いたいかというと、写真部をやってきて、何ひとつとして頑張ったことなどないということだ。ツラいことなど一度もなかったということだ。なぜなら、みんな写真がそこそこ好きで、純粋に写真を楽しんでいただけだからだ。写真をやってる人なら分かると思うけど、雑誌やコンテストで入賞できたら嬉しいけど、入賞したくて写真を撮ってるわけではない。景色があまりにも美しいとき、写真を撮らずにはいられないものだ。

余談だが、高校生のころ、夢中で撮影しているとCFカードがすぐいっぱいになってしまったものだ。それはコンパクトフラッシュと言って、SDカードよりひとまわり大きいメモリーカードで、当時はそれが主流だった。僕が高校生のとき、つまり2006年くらいは、256MBか512MBを使っているヤツが多かった。今では512GBのSDカードも売られている。512MBの1,000倍である。技術の進歩は素直に嬉しいものだ。余談は以上だ。

1年生から部長になってしまったおかげで、2回も新入生を勧誘する機会を与えられたのだが、これが最高に楽しかった。「輪転機で刷った白黒のビラなんてクソだろ。俺たちはポケットティッシュだ!」ということになって、もちろんカラーで1,000部作って配りまくった。案の定ウケた。そんなこともあって3人だった部員が30人になったのだが、何より嬉しかったのは新入生だけじゃなくて、2年生や3年生が入ってくれたことだ。中には運動部を辞めてきた人もいた。当時、携帯キャリア間で電話番号を引き継げるサービス「ナンバー・ポータビリティ」が始まったころだったので、それにちなんで「ブカーツ・ポータビリティ」と題してキャンペーンを行ったことを覚えている。

少しばかり話が脱線してしまったが、無理して戻すことはない。だが、そろそろまとめよう。

部活動なんて高校生活のメインじゃないのだから、物理的に、あるいは精神的に大変なら無理して入らなくてもいいし、辞めたければすぐに辞めればいい。ツラくても続けることが美というのはウソ。それはただのドM。高度成長時代を生きてきた大人たちや、スポ根万歳な人たちは、ツラいことを乗り越えた先にこそ感動があるとか、ホンモノの仲間ができるとか、調子のいいことを言ってくれるかもしれない。確かにそういう価値観もあるだろう。しかし、僕の場合は、先ほど述べたように、楽しさだけで写真部を3年間やってきたし、当時のメンバーは今でも最高の仲間だ。

いつも言っていることだが、要するに価値観は人それぞれだ。僕みたいな考え方の人もいれば、毎日ハードな練習をしてトーナメントを勝ち進むことが楽しいと感じる人もいる。つまり、自分に合った部活に入ること、あるいは入らないことが何より重要だ。入るべき部活を間違えたと思ったら、すぐに辞めることが重要だ。貴重な高校3年間を大切にして欲しいのだ。もしやりたいことがないなら、なるべくたくさん勉強したらいい。勉強できればよい人生かというのは一概には言えないけど、勉強できて損はない。これは絶対に言えることだ。

テレビをはじめとして、多くのメディアや大衆が、青春の代名詞として部活動をあまりにもフィーチャーしすぎている。特に夏になると、甲子園球場に集う野球部員たちの、日々ツラい練習に励んできました的なVTRが、それらを極端に美しいもとのして伝える。負けたチームが土を回収するシーンは何故か涙が出る。でも僕はそんなときいつも考えてしまう。声を出せば強くなるのか。その土は神聖なものなのか。彼らは毎日の練習の際、日焼け止めをちゃんと塗っているのだろうか。実にどうでもいいことかもしれないが、それが気になって仕方がないから、僕は甲子園の中継を見ない。