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よりオープンに表現したい

Twitterでも書いたが、こないだ超久しぶりにカニサワ氏とSkypeしたとき「おまえ、ブログはどうなってんだよ!みんな楽しみにしてるんだぞ。毎日チェックしてるんだぞ。ちゃんと書けや」的なことを言われまくりました。やばいやばい。忙しかったからと言ってしまえばごく簡単な言い訳にはなるけど、でもちょっと違うと思う。結局何がいけなかったって、Twitterを始めてしまったこと、そして結構活用しちゃってることだと思えて仕方ない。私のスタンスとしては、あくまでもブログが軸にあり、その周辺にTwitterやmixiなどが存在しているべきなんだけど、最近どうも軸がぶれている。早いうちに修正しなければなりません。

いや、書きたいことはたくさんあるんです。日常の中でインプットは十分にあるんだけど、それをぐにょぐにょしてアウトプットまで持っていくプロセスがとてつもなく面倒な今日この頃。ちょっとしたテストがいくつかあったり、キツい課題があったりしたせいかもしれません。まあ、今日の休講(キャンパスは運動会的なイベントらしい)はいい機会なので、久しぶりに頑張ってみようと思います。そのために、ラップトップと何冊かの教科書、新書などをかばんに詰め込んで、マクドにやってきました。Yahoo!ビンビンLANも契約してしまいました。

というわけで、最近のホットな(いわゆるアツい)話題から。前述のとおり、Twitterが私の生活を浸食してきたせいで、ブログが疎かになっているということについて考えてみたい。簡単に言うと、いわゆるSNSと呼ばれる類のものがたくさん出てきて、本来ブログに注がれるべきだったエネルギーが、他の媒体に分散されてしまうというような現象があちこちで起こっている。私の場合だと、mixiやFacebookはTwitterからリンクさせているので放置。実質的にはブログとTwitterのみだが、友人たちの中にはそれらを全て少しずつやっているという人も少なくない。

この3ヶ月くらいいろいろ手を出してみて思ったのは、結局ブログだけやってりゃいいんじゃないかということです。ブログがアクティブ型の発信媒体であるとするなら、FacebookやTwitter、mixiはパッシブ型の媒体であると言える。そもそも、後者は登録が前提とされていて、友人の日記を読むためには自分のアカウントが必要。そして、登録して、友人をフォロー(あるいはマイミク)さえしてしまえば、あとは自動的に自分の画面に友人たちの日記なりつぶやきが表示される。誰それさんの日記を読もうという意志は関係なく、あくまで勝手に自分のタイムラインを浸食してくれる。対して前者のブログも、RSSという点から考えるとパッシブであるという意見もあるかもしれないけど、少なくとも閉鎖的でないという点が大きく異なる。

mixiのような「つながり」を求めるソーシャルメディアを全否定する気はないけど、閉鎖的でつまんないなあというのが、前述のカニサワ氏や浅井と話すところのいつもの結論なのです。Twitterについては、始めた当初はリアルタイム感がめっちゃ面白くてハマってしまったが、数ヶ月経ってみると特に面白くないことに気がついた。結局、様々なソーシャルメディアって、いろいろあるけどどれも似たり寄ったりで、よく考えられているように見えて実はどれも安直で、ふーんって感じが否めない。それが私の抱く、ここ半年の気持ちです。

以前の記事で、Twitterが短文社会を招くというテーマで社会学のレポートを書いたので近いうちにブログでまとめると言っておきながら、まだやっていなかったことを思い出した。ちなみに社会学の前期のレポートはmixi批判を書いたのだから、一年通して一貫した主張ができたと思う。ちなみにちなみに、評定はAだった。+が欲しかった。ちょっと惜しい。

ブログを5月頭から約半月サボって、その間Twitterに妙に積極的になり、久しぶりに今こうして書いているわけだが、文章力ってあっという間に落ちるんだなと、改めて実感してしまった。そりゃそうだ。140文字の世界に半月もいれば当然だ。Twitterないしmixiないしケータイメールが招くものは、日本人の言語の「短文・単文化」であり、突き詰めて考えれば文章力あるいは表現力の低下に他ならない。利便性とかリアルタイム性とか、そういうものを求める一方で、表現力を失う。恐ろしいのは、Twitterは簡単で敷居が低くて、ふと始めてみると、自分がとてもたくさん世界に表現しているかのような錯覚に陥ってしまうことだ。確かに大いに発信はしているのだが、表現しているかと言ったら微妙だ。もしよく考えられてTweetされていたら話は別だが、読んでいる限りではほとんどが思いついたことをよりダイレクトに発信しようとしている。このニュアンスをうまく表現したいのだが難しい。数学的にいえば、xがxのまま出力されていると言った感じだ。そこには関数がない。xは、自分自身という関数fを経由してf(x)として出力され、そして発信されなければならないと、私は思う。

相変わらずまとまらない記事で、読んでくださっている方には苦戦を強いてしまっているかもしれないが(言い訳するなら久しぶりすぎて全然まともに書けない)、最後に言っておきたいのは、Twitterやmixiには、依存性あるいは中毒性があるということだ。大学の休み時間、あるいは食事中、そして最も顕著なのはバスや電車の中、あなたはついケータイのお気に入りからmixiを開いてはいないだろうか。あなたはつい「急行橋本行きなう」とかTweetしていないだろうか。Twitter文化に対して否定するわけじゃないけど、しばらく控えたいと思っているこの頃である。だって、どこの誰が私が急行に乗っていることを知りたいのだろうか。

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コメント

  1. IPPEI より:

    @taizan
    まさに私の言わんとしてたことを端的に表現してくれました。本当におっしゃるとおりで、日本におけるソーシャルメディアは一種のつながりを求める行為になってしまいました。

    今日、セルフ・ブランディングということが求められています。kazemichi.comとか見ると、まさにそれだと実感します。私もippeintel.comが「シューカツ」に生かせたらと思っています。ところで、ドメイン買いましたか?

  2. taizan より:

    多くのtwitterユーザ(というか日本人?)は情報を発信したいというよりかは、かまってくれることのきっかけになるのを願ってつぶやいているからね。身内にしかつたわらないような情報。
    オープンにつぶやける場というconceptがありながら、閉鎖的コミュニティを作り出してるのはちょっとシュール。
    まあ俺はそんなTwitter楽しんでいるんだけど笑